コラム「大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより楽しむために」第4回
第4回 「ねね」と二つの実家
「豊臣兄弟!」には様々な女性が登場しますが、なかでも秀吉の妻「ねね」は重要な人物と言えるでしょう。ねねの生家は杉原氏といいます。ねねの実兄である杉原家定が秀吉から「木下」の名字を与えられて優遇され、その子孫は大名として江戸幕末まで存続しています(足守木下家と日出木下家)。ちなみにこの両家は江戸時代を通じて「豊臣姓木下名字」を称していました。大坂夏の陣で豊臣本家は滅亡しましたが、「豊臣」の名跡は消えなかったのです。
ところで秀吉とねねは、当時としては珍しい恋愛結婚だったようです。しかし結婚には、ねねの実母「朝日」が大反対しました。秀吉の出自の低さを嫌ってのことだったと言われています。結局ねねは、「朝日」の妹「七曲」の嫁ぎ先である織田家臣の浅野家の養女として秀吉に嫁ぐことになりました。秀吉には見どころがあるので、身分の低さが杉原家の面目を失わせるというのなら、わが浅野家から嫁がようと、浅野家の当主長勝と「七曲」夫妻が「朝日」を説得したとされています。ちなみに「朝日」も「七曲」も、後世付けられた尊称と考えられます。実名は伝えられていません。
さて、浅野長勝夫妻には娘がいました。名を「やや」といいます。男子はいなかったため、婿養子を迎えて浅野家を継がせることになりました。これが後年、豊臣家の「五奉行」の一人として知られる浅野弥兵衛長政です。とはいえ、あまり知名度は高くないでしょう。むしろ、「忠臣蔵」で著名な赤穂藩主の浅野内匠頭(たくみのかみ)長矩の祖先と言った方がわかりやすいかもしれませんね。
秀吉とは妻同士が義理の姉妹という関係上、浅野長政は秀吉から厚遇されていきます。天正元年(1573)、秀吉は北近江の戦国大名浅井氏攻略に多大な功績があったため織田信長から浅井氏の旧領を与えられて大名身分となりましたが、この年、長政は正式に秀吉の家臣となっています。そしてそれ以降も秀吉を支えていくことになるのです。
過去のコラム「大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより楽しむために」は、以下からご覧になれます。
