2025年12月19日更新
KOKUGAKUJIN #20
5代続けて國學院で学ぶ家系の中、私は祈りの道と剣の道を歩む。

今回は、國學院大學の卒業生(院友)で大塚神社第25代宮司を務める中村高達さんにお話を伺いました。また、同じく院友で大塚神社第24代宮司を務めた父・中村俊文さん、さらに國學院大學神道文化学部在学中の息子・中村恵宗さんにもご同席いただいております。
Q 子供の頃は、どんなお子さんでしたか?
神社の社務所で暮らし、日常的に太鼓の音などを聞いて育ったので、幼い頃から自然と「将来は神主になるのだろうな」と思っていました。当時、夢中になっていたのは小学校1年生の時に始めた剣道です。6年生になると居合道にも取り組むようになりました。
剣道を始めたきっかけは神楽です。幼稚園児の頃、曾祖母に勧められて実家の大塚神社の神楽を舞うようになり、演目で刀に触れる機会がありました。それ以来、刀や剣術に対する興味が湧いて、剣道の道場に通うようになりました。
中学では剣道部に所属しながら、街の道場にも通い続け、剣道と居合道の両方を学んでいました。高校入学後は部活動には入らず、道場で居合道に専念するようになりました。
刀を手にすると心が落ち着き、ゆったりとした気持ちになれます。今に至るまで、居合道を続けている理由の一つは、まさにこの心持ちにあります。

Q 國學院大學へ進学した理由と当時の学生生活を教えてください。
先ほど申し上げた通り、物心がついた頃からなんとなく「いずれは神主になるのだろう」と思ってはいたのですが、中学3年生の時、私をとても可愛がってくれていた曾祖母が亡くなりました。その曾祖母が亡くなる少し前に、私に「神社の後を継いでくれ」と言いました。その時、私の中で神職になる意思が固まりました。大学進学に際して、國學院大學のパンフレットを見ると居合道部が紹介されていて、流派も私がこれまで修練してきた夢想神伝流でした。これも國學院大學文学部神道学科へ進学を決めた大きな理由の一つです。
大学入学後は、迷うことなく居合道部へ入部しました。当時の居合道部はしきたりや上下関係がとても厳格で、規律と誇りに満ちた雰囲気がありました。そのピンと張りつめた空気感が、私は好きでした。
毎日の昼と夕方の稽古は、とても厳しかったのですが、それ以上に上達する喜びの方が大きく楽しかった。3年生の時は第24代の主将を務め、部員たちをまとめながら修練を積みました。試合では関東学生居合道大会新人戦で優勝し、翌年からは2年続けて関東学生居合道大会で優勝することもできました。大学4年生になると、さらに上を目指して、川崎にある神武館石堂道場に入門して修行を始めました。とにかく大学時代は居合道一色といってもいいかもしれません。

Q 三人にお伺いします。國學院大學の魅力は?
中村高達さん:
神道学科の学友、居合道部やほかの運動部の仲間など、今でも連絡を取り合う友人たちがたくさんいます。人とのつながりの広さと深さを大切にできるところが、私の好きな部分です。國學院大學には、そうした密な人間関係を築ける風土があると思います。もう一つ、居合道に集中できたことも私にとっては大きな魅力です。
中村俊文さん(父):
日本の歴史を深く掘り起こす学問があるところが魅力だと思います。中村家と國學院大學の歴史も深く、私の祖父の時代から孫の恵宗まで、5代続いて國學院大學で学んでいます。父と祖父の卒業証書は皇典講究所のものです。
中村恵宗さん(息子):
神道以外に他国の様々な宗教も学べるので、宗教を広く知り、物事を俯瞰してとらえることができる力を養えるのは國學院大學の魅力の一つだと思います。

Q 卒業後の歩みと今のお仕事を教えてください。
大学卒業後は教員免許を取得するため、更に1年間、聴講生として大学に通いました。大学での聴講のかたわら、居合道の普及と指導のために道場の師匠と共にイギリスやオランダへ渡航もしました。当時は居合道にますます打ち込んだ時期でもあります。
教職課程の単位取得後は港区の三田にある御田八幡神社に6年間奉職しました。御田八幡神社へ奉職した理由の一つは大好きな時代小説家の池波正太郎の作品の舞台に御田八幡宮界隈が多く出てくること。もう一つは居合道ができることでした。神楽殿を使って居合を行うことも許してくれました。どこまでいっても自分は居合道が好きなのでしょうね(笑)。
その後は、宮崎に戻って実家の大塚神社で神職に従事し、今は第25代宮司として働いています。もちろん、今でも居合道に深く関わっています。神武館宮崎支部中村道場を設立して居合道の指導をしています。指導者になったのは伝達することの喜びを知った海外での経験が大きいですね。言葉や文化の壁を乗り越えて、居合道の形や精神を伝えられた時の喜びは格別でした。今は台湾でも居合道の指導をしています。指導する人たちの中には、自己表現や集団行動が苦手な子供たちもいます。その子たちには、少しずつ心を通わせることから始めて、一人ひとりに合った指導方法を見つけながら居合道を教えています。子供たちが、だんだんと心を開いてくれる姿を見るのはとても大きな喜びです。私にとっても非常に勉強になっています。

Q これからチャレンジしてみたいことはありますか?
居合道に関しては、これまで以上に多くの人に居合と刀の魅力を伝えていきたいと思っています。宮司としては、近々、大塚神社で神社マルシェを企画しています。地元のキッチンカーを集めた町おこしです。神楽や獅子舞などの伝統行事も残していかなければなりません。町の若手とともに伝承していくのも私の役割です。新しいことにも、昔からの伝統を継承することにもチャレンジして、神社が核となって町に活気を届けていきたいと思っています。
Q 中村高達さんが個人として大切にしている信条は?
「おごらず、謙虚に」ということです。居合道の試合に頻繁に出場していた時期に、少しの油断、おごりでライバルに負けたことがあります。そういった経験がありますから、私が今でも大切にしているのは「おごらず、謙虚に」という気持ちです。

Q 最後に三人にお伺いします。
あなたが考える國學院らしさ(KOKUGAKUJIN)とは?
中村俊文さん(父):
いにしえを大切にするということでしょうか。学友たちの気質は素朴な人たちが多かったですね。
中村高達さん:
隷書体で書かれた旧字体の「國學院大學」という文字がとても好きです。父と重なりますが、いにしえ、伝統を尊ぶところは國學院らしさだと思います。人としての特色は、文学青年が多かったということでしょうか。
中村恵宗さん(息子):
國學院大學では、古事記なども深く学ぶことができます。祖父や父と同じように日本の伝統や文化を大切にしている大学だと感じています。

中村 高達
大塚神社 第25代宮司
神武館宮崎支部中村道場 館長
國學院大學文学部神道学科(現・神道文化学部) 平成7年度卒業