コラム「大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより楽しむために」第7回
第7回 本能寺の変①
「豊臣兄弟!」で、ついに本能寺の変が描かれました。今回は、この本能寺の変をめぐる「黒幕説」について取り上げたいと思います。実行したのは光秀だが、光秀に謀反を勧めた存在がいるのでは?―そう考えるのが黒幕説です。いくつか説があるのでご紹介しましょう。
まずは「朝廷説」。これは、当時信長と朝廷の関係がうまくいっていなかった、もっと言えば、朝廷は信長に圧迫されていて、脅威を感じた朝廷が光秀に接近し謀反を起こさせた、というものです。ただし、両者の関係は円満であったと考える研究者も多くいます。
それから「羽柴秀吉説」。「信長が死んで誰が一番得をしたか」という視点で見た場合、秀吉の名が浮かんでくるのは理解できます。
徳川家康が黒幕だった可能性も指摘されます。嫡男信康を信長の命令で死に追いやられたため家康は信長を恨んでいた、というのが主な理由として挙げられます。これが本当ならば動機は十分ですが、近年は信康の死に信長は関与していないという説が出ています。
「豊臣兄弟!」では、信長の甥である織田信澄の関与が描写されました。これは新説ですね。信澄は信長によって討たれた信勝の子なので、たしかに信長を恨んでいた可能性はあるでしょう。
さて、ここまで挙げた黒幕候補には共通点があります。それは、明智光秀と親密な関係にあったことが、歴史史料から一切うかがわれない、ということです。これが大きな問題となります。
「朝廷説」を例にしましょう。この場合、天皇の意を受けた公家が光秀に接近し、信長を討つように要請することになります。しかし、要請する側もノーリスクではありません。このことを光秀が信長に「ご注進」したらどうなるか。当然信長は激怒し、大変な報復が行われることは明らかです。「黒幕」が秀吉や家康、織田信澄だったとしても同様です。
つまり「黒幕説」は、光秀に謀反を勧めても、光秀がそれを絶対に口外しないという確信を「黒幕」が持っていなければ成立しないのです。そのためには、光秀との強固な信頼関係が構築されていることが前提となりますが、その形跡はありません。
このように考えると、唯一可能性が残されるのが「足利義昭説」です。室町最後の将軍である義昭は、信長に推戴されて将軍になることができましたが、その後対立して京都を追われました。信長を深く憎んでいたことは間違いありませんから、動機は十分です。
さらに、本能寺の変に際して義昭は信長の勢力圏にはおらず、敵対していた毛利氏の領内で庇護されていました。そのため、もし光秀が信長へ「義昭が信長様へ謀反を起こすように言ってきた」と伝えたとしても、すぐさま身に危険が及ぶことはありません。ですので「黒幕説」がありえるとしたら、それは「足利義昭説」以外には考えられないでしょう。
もっとも、黒幕などは存在せず、あくまで光秀個人の手によるものだと考える研究者の方が多いのが現状だと思います。
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