佐藤 誠博 | KOKUGAKUJIN | 学校法人國學院大學 | 法人サイト

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2022年3月17日更新

KOKUGAKUJIN #5

今の自分があるのは、國學院とレスリングとの出会い

Q 子供の頃は、どんなお子さんでしたか?また、どのような夢を持っていましたか?

 生まれも育ちも吉祥寺です。実家は吉祥寺駅前のハモニカ横丁で十八番というラーメン店を営んでいました。小学校の2年生頃までハモニカ横丁で暮らしていたんです。当時は近所のパチンコ屋さんで店員さんと遊んだり、お巡りさんに帽子を被らせてもらったり、居酒屋さんで焼き鳥をご馳走になったりと、おおらかな時代でした。とても人情味のある街でしたね。
 近所の原っぱでは野球をやったり、相撲を取ったり、プロレスごっこをしたりもしていました。特にプロレスが大好きで、テレビ中継を欠かさずに見ていました。将来はアントニオ猪木のようなプロレスラーになって、綺麗で可愛いアイドルをお嫁さんにもらいたいと思っていたんですよ。
 中学・高校時代もプロレスラーになることを諦めていませんでした。國學院大學久我山高校に入学したのは、レスリングがやりたいとう一心からです。当時、レスリング部は東京で一番強かった。日本体育大学からコーチが来てくれて、部員同士でも工夫しながら夢中で練習に励んでいました。結果、高校3年生の時に、関東大会の個人戦で3位になることができました。一方で、ラグビー部が初めて日本一になりました。ラグビー部の練習は厳しくて、彼らに影響を受けた私たちも練習に一層身が入るようになりました。ラグビー部には、同じクラスの友達がたくさんいて、練習が終わってヘトヘトになりながら一緒に帰ったものです。今でも彼らとは交流があるんですよ。

Q 大学生時代は、どんな学生生活を送りましたか?

 大学は國學院大學です。家が商売をしていたので経済学部へ進学しました。レスリングが強い他大学からも誘いがあったのですが、体の大きさなど、越えられないハードルを高校時代の全国大会で痛感して、プロレスラーへの道は断念したんです。それでもレスリングが好きでしたから、関わり続けたいと思ってレスリング部に入部しました。大学時代は学生連盟の委員として積極的に活動に携わりました。裏方として大会を運営したり、試合の審判員もやりました。他の大学の運営委員と一緒になって活動することがとても楽しかった。そしてその頃から、アマチュアレスリングの指導者になりたいという夢を強く持つようになりました。学生連盟の活動をしていたことで他大学の学生たちとの交流が深まり、たくさんの仲間の輪が広がっていきました。この人脈は今でも息づいていて、困りごとなどを相談することがあります。 部活動以外では、家のラーメン店の手伝いを頻繁にしていました。中学生の頃から出前の手伝いをしていて、ビルの8階にいるお得意さんのところまで、重い岡持ちを両手に持って、毎日のように階段を使って届けていました。今にして思えば、レスリングの体をつくってくれたのかもしれません。
 卒業後は、製薬会社に3年弱勤めた後、新設の女子高校で社会科を教えました。新設校ですから、生徒集めにとにかく奔走しました。教員ではなかなか出来ないこれらの経験が今に役立っていると感じています。女子高校で教えはじめて4年がすぎた頃に、久我山の佐々木周二校長(当時)に声をかけていただき、國學院大學久我山で教鞭をとることになりました。社会科を教えるかたわら、レスリング部の顧問も務めることができたのは佐々木先生のおかげで、指導者になるという夢を母校で叶えることができたのです。それからは、教員として生徒たちを育成することはもちろん、レスリングの指導にも情熱を傾けました。

Q 佐藤先生が現在取り組んでいることは何ですか?

 10年ほど前から、野球部の顧問をしています。当初、野球には詳しくなかったので、ベンチからヤジを飛ばして審判から指導されたり、コールドゲームを知らなくてベンチに座り続けて生徒に教えられたり、色々ありながらも今は野球部の運営に力を注いでいます。父母や高野連との対応や、総監督である竹田先生と連携をとりながら、私の教え子でもある尾崎監督に過度な負担をかけずに、仕事がしやすいようにバックアップをしています。これは学生時代にレスリング学生連盟の委員として、裏方の仕事に携わってきた経験が生きていると実感しています。この春、「第94回選抜高等学校野球大会」への出場が決まりました。まずは甲子園での一勝を願っています。

Q 佐藤先生が大切にしている信条は?

 「なんとかなる」これが信条の一つです。辛い時や困った時には、この言葉を思い浮かべるようにしています。もう一つ、製薬会社時代の上司に「ひとの失敗は許せ」ということを言われました。自分も失敗するのだから、他人の失敗も許容して相手の立場になってモノを考えることを教わりました。生徒たちを育てて行くうえでも大切なことを教わったと感謝しています。人情の厚い街で育ち、レスリングを通して様々な人と出会い、社会に出て色々な経験をしてきた。全てが今の私の糧になっています。

Q 佐藤先生が考える國學院らしさ(KOKUGAKUJIN)とは?

 園児も生徒も学生も、國學院で育った全ての人が國學院らしい人なのだと思います。國學院の風を肌に浴びて、その空気を感じた人は皆がKOKUGAKUJINです。佐々木先生が「國學院の匂いを醸し出せるような人間を育てる」と常々仰っていました。私もそんな風に生徒たちを、KOKUGAKUJINに育てていきたいと強く思っています。

佐藤 誠博

國學院大學久我山中学高等学校 教諭(地歴公民科)

東京都出身
國學院大學経済学部卒業
1987年4月より國學院大學久我山中学高等学校専任講師として着任し、1988年に専任教諭。
2009年より生徒指導部長、2012年より男子部長を歴任。2017年4月に教頭に就任。現在に至る。

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