千野 隆司 | KOKUGAKUJIN | 学校法人國學院大學 | 法人サイト

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2023年3月31日更新

KOKUGAKUJIN #10

中学3年の時に出会った物語が、小説家への夢の始まり

Q 子供の頃は、どんなお子さんでしたか?また、どのような夢を持っていましたか?

 私の家から歩いてすぐの所に映画館がありました。小学校に入学する頃は大川橋蔵の新吾十番勝負や東千代之介の笛吹童子など東映の時代劇が全盛で、新作が掛かるたびに父に連れて行ってもらい時代劇映画を観ていました。積極的に外へ出ていくタイプの子供ではなかったので、家でテレビを見たり子供向けの文学全集などを読んだりしていました。
勉強は数学や理科の実験が好きでしたから、中学生の前半までは理工系の学校に進みたいと考えていました。
 中学3年の時に井上靖の「あすなろ物語」と出会いました。主人公は両親と離れてお婆さんと伊豆の山奥で暮らしているのですが、その境遇が早くに母親を亡くした自分と重なり、強い共感を覚えました。物語では大人の恋愛なども絡んできて、中学生の私には非常に面白くて、自分もこういう作品を書きたいと思いました。「あすなろ物語」を読んで、生まれて初めて人間はなぜ生きてゆくのだろうと漠然と考えました。

Q 國學院高等学校、國學院大学時代は、どんな生徒・学生生活を送りましたか?

 高校進学に際しては、私が小説好きなことを知っていた中学の担任の先生に薦められて國學院高等学校への入学を決めました。高校では芸文部へ入部して小説を書いていました。國學院高等学校は、芸文部の生徒たちが書いた作品を年に1冊か2冊「國高芸文」という雑誌にして印刷してくれていました。書いたものが活字になり、形になることは嬉しかったですね。小説を書き始めた芸文部での3年間は、私にとって貴重な時期です。今でも自分の作品が載っている「國高芸文」は手元にあります。今にしてみれば恥ずかしくて、読んでいただけるような代物ではありませんが。
 大学は國學院大學文学部文学科へ進学しました。学術系のサークル「近世文学会」へ入部し、井原西鶴や上田秋成などを中心に学んでいました。進んで勉強する学生ではなかったのですが、皆の話を聞いているだけでも研究者や本の名前、江戸の風俗など、様々な近世の事柄が耳には入ってきて、頭の隅に残っていました。この4年間で時代小説を書く上で必須の資料探しなどに役立つ基本的な事が身に付いたのだと思います。大学での勉強は創作ではなく研究が中心になるのですが、大学時代も小説は書き続けていました。

Q 卒業後、今の職業に就かれるまでの道のりを教えてください。

 大学卒業後は、出版社の校閲部門を担当する会社に就職しました。辞書を片手に書籍や雑誌など様々な本の校閲をしていました。入社して3年目、校閲する中に月刊小説誌の新人賞の作品がありました。その作品はミステリー小説で、校閲をしている時に、自分でもミステリーが書けるのではないかと思いました。就職してからも私事をベースにした純文学作品を書いていたのですが、そのミステリー小説をきっかけにエンタテインメントへ方向を変えました。ただ書き始めてすぐにミステリー小説の大変さを痛感しました。ミステリーは結末とそこに至る過程が完璧でなくてはなりません。小さな一つ一つの出来事が最後に収斂される必要があります。一つでも嘘や矛盾点があると物語は成立しなくなりますから。
 校閲の仕事を3年間した後、公立中学校の教員になりました。教員は夏休みなども長く、小説を書く時間がより多く取れると思って教職に就いたのですが、中学の教員は忙しかったです。それでも国語の教員を30年程続けました。教員時代の当初は現代もののミステリーを書いていました。時代ものを書くようになったのは、書き手仲間が集まる勉強会に時代小説を書く親しい人がいたり、時代ミステリーを書く海渡英祐先生にご教示いただいたりしたことからです。大学時代、近世文学会へ所属していたので時代小説を書くことに抵抗なく入ることができました。1990年、私が30代の後半の時に「夜の道行」という作品で小説推理新人賞をいただいたのですが、その後も教員生活を10年以上続けました。小説だけで暮らしていくのはなかなか難しいことでしたので。土日や長期休暇の際に書いた小説が、書店に並ぶという暮らし方でした。今から20年程前に時代小説のブームが来たこともあり、それを機会に小説一本の生活になりました。小説を書いてゆく中で出会った様々な人との出会い、巡り合わせも小説を書くにあたって後押しをしてくれました。昨年は書き下ろしを9冊書きました。おかげさまで今では、締め切りに追われる日々を送っています。

Q 創作する上で大切にしていることは何でしょうか?

 今書いている「おれは一万石」(双葉文庫)シリーズで言うと、一万石は大名家としての最低の禄高といえます。一俵でも減ると旗本になってしまう。その大名が様々な問題に直面しながら家臣や領地を守っていく物語です。これは現代の中小企業の経営者と繋がるものがあると思います。社員たち(藩士や領民たち)の暮らしを守りたいという願い。それは時代を越えて同じではないでしょうか。純文学であろうとエンタテインメントの時代小説であろうと、究極の目的は人の心を描くことだと考えています。
 時代小説を書く上で大切な作業は、資料探しです。時代考証や当時の地理、風俗を間違えると、作品が薄っぺらなものになってしまいますから、資料探しには労力を掛けます。文献を見つけるために、歴史関係の資料が豊富な國學院大學の図書館を利用しています。卒業生ですので、手続きさえすれば利用できます。今でも國學院には、お世話になっているわけです(笑)。
 もう一つ、創作する上で心がけているのは、自分にあるものを惜しまず全て出して、今できる最高のものを書くということです。それができなくなった時は、自分が小説の世界から消える時だと思っています。

Q 現在取り組んでいる、また、これから取り組みたいと考えていることはありますか?

 締め切りに追われながら年間10冊近いペースで小説を書いています。朝の9時から夜の12時まで、食事や休憩を挟みながら執筆をするか資料を読み込む毎日です。苦労は多いのですが作品が書店に並んだ時の喜びは一入です。これからも、より良い作品を書き続けていきたいですね。

Q 千野さんが大切にしている信条は?

 「夢はあきらめない」これを大切にしています。小説家になる夢を抱いた中学3年生の時から社会に出て校閲や教員をしながら小説を書き続けてきました。あきらめなかったからこそ作品が書店に並びました。そして小説家として一本立ちできた。「夢はあきらめない」が私の信条です。

Q 千野さんが考える國學院らしさ(KOKUGAKUJIN)とは?

 私の体験では國學院は他に比べて読ませたり書かせたりする授業が多かったと思います。それができる環境も整っていました。「聞く」だけでなく、「読む」「書く」は、「考える」の土台になります。「基本を大切にして、一歩一歩踏みしめて進んで行く」これが國學院らしさではないでしょうか。

千野 隆司

小説家

東京都 出身
國學院高等学校、國學院大學文学部文学科卒業
出版社勤務を経て、1990年「夜の道行」で小説推理新人賞を受賞
2018年、「おれは一万石」シリーズと「長谷川平蔵人足寄場」シリーズで第7回歴史時代作家クラブ賞「シリーズ賞」を受賞、現在に至る

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